原武嗣さん 長岡西病院ボランティアビハーラ僧・遺族・当会代表

長岡西病院ビハーラ病棟の現場にて

ひともとの今年の桜  2001年 5月、妻がビハーラで亡くなった。
辞世の句は、「ひともとの今年の桜愛別離苦」(原みえ子)歌人の田宮朋子さんが、句に添えて短歌を作ってくださった。

「ゆれうごく言葉の隙の地のこころ念仏という花で満たさむ」(田宮朋子)

人はだれでも、「生・老・病・死・愛別離苦・求不得苦・怨憎会苦・五盛陰苦」に生きている。
本人も、傍にいる者も「いずれの行もおよびがたき身」であり、「今生に、いかにいとおし、不便とおもうとも、存知のごとくたすけがた」き身である。
しかし、「煩悩具足の凡夫人」とは、「仏の教えにより如来の大悲心が見出した」ものである。
如来の大悲心の視線のあて先である私の、そのままの姿である。
その私にできることは、無量寿のはたらきのなかで、「念仏という花で満たさむ」のみ。

「念仏もうすのみぞ、すえとおりたる大慈悲心にてそうろうべき、と」 。

野菊の会。遺された者は、やがて去く者である。だからこそ、前(さき)の人を訪ね聞く。

前(さき)に生まれん者は後(のち)を導き、後に生まれん者(ひと)は前を訪(とぶら)え連続無窮にして、願わくは休止せざらしめんと欲す。
無辺の生死海を尽くさんがためのゆえなり、と。

原氏

親鸞は、『教行信証』に、道綽(中国 562~645年)の『安楽集』の「去」を「生」に換え て引用している。

普く諸の衆生と共に  仏教はインドから中国、朝鮮を経て日本に伝わった。
鎌倉時代になって一般民衆に仏教が開かれた。
村や町に寺のある風景は、地方の農・工・商・職人などの生きる場に仏教が伝わった証である。
黒船の衝撃で明治維新(1868年) 。
日本の近代化は富国強兵、殖産興業と、西洋に学び 近代科学技術を導入することで始まった。
西洋のキリスト教の神に対して、維新政府は 国家神道を創設、廃仏毀釈で仏教を弾圧した。
敗戦後、1960年代からの高度成長で経済・物の豊かさの近代化が地方の隅々にまで浸透し生活様式をすっかり変えた。
21世紀は、人類が大きな岐路に立たされ、「近代」の価値観が問われる。
それはきわめ て困難な作業である。
E.F.シュマッハ―の仏教を基礎とした人間復興の経済『Small is Beautiful』が改めて重要な哲学となる。
古代ギリシャのユークリッド幾何学の演繹的論理は、ヨーロッパ絶対君主制やカトリック・イエスズ会などの集権的・一元的なヒエラルキー(聖職位階制)の基となった。

デカルトの方法とニュートンの微積分学などの帰納的方法は分権的・多元的な近代科学技術社会の基礎となった。
1975 年当時から始まるフラクタル幾何学は自然の不規則性、非線形性、自己相似性、 関係性を初めて数学で示した。
ビハーラの提唱は1985年。
フラクタル構造は仏教の説く 「個即人類」などを図示的に示すことができる。
数学は万人に通じる言葉である。

したがって数学を方便に、仏教は世界におのずから伝わる。

普共諸衆生 往生安楽国(普く諸の衆生と共に 安楽国に往生せむ) 21世紀の世界を、ビハーラは示す。